アマゾンプライムビデオで「ウィッチ」を見ました。
単純にホラーが見たくて再生しましたが、シンプルなホラーとは言い難い伏線や象徴の数々が面白かった。そこで、映画を見た段階でイマイチ分からなかったことなどを考えてみます。
しかし時代背景とか伏線とか複雑すぎて全然まとまりがないです・・難しい!
見た人向けなので、ネタバレ前提です。
まだ見てなくて、どんな映画かな〜と思っている人は今すぐ戻るボタンを押しましょう。いや、ほんとに。
個人的な見解と、色んな海外の考察サイトを見たりして「おお〜」と思った部分をピックアップしています。
ここめっちゃ読みました(英語)
映画の時系列に沿って詳しく象徴などについて語っています。
ウィッチというタイトルについて
原題は「The VVitch」です。
なぜVが2つなのか?
1630年ごろ、Wの大文字表記をV2つで印字している書物が多かったことから監督が取り入れたそうです。Wの文字が足りなくなった時にV2つで代用したという話も。
17世紀にアメリカで最初に印刷されたと言われる「ベイ・サーム・ブック」を見てください。
大文字のWがV2つで印字されています。監督がこの1630年ごろという時期に物凄く忠実にこだわっていることが伺えます。
ウィッチの時代背景
ピューリタンとは
一家がいたのはピューリタンの入植地です。母親が「家に帰りたい、イギリスに・・」と嘆いていますね。
ピューリタンは清教徒と呼ばれるイギリスのカルヴァン派プロテスタント。エリザベス1世が確立したイギリス国教会に批判的であり、徹底した宗教改革を主張しました。
彼らはローマカトリックの要素を教会から取り除くことで教会の「浄化(Purify)」を行い、より聖書に近いキリスト教徒としてあろうと考えました。
17世紀に王と教会によって弾圧され、信仰の自由を求めたピューリタンは1620年にアメリカ新大陸へと渡ります。
ピューリタンの宗教観
ピューリタンは質素な生活を送り、神のために生き、神と共に生きました。
彼らには神は誰を救済し、誰を滅びに至らせるかを最初に決めているという予定説の教えがありました。それはどんなに質素な生活をしようが、いかに善行を積もうが変わらないとされていました。
つまり、彼らは自分が救われる存在なのか常に疑心暗鬼でした。
しかし、同時に契約神学も信じていたピューリタンは、キリストを信じる者は全て救われるとも考えていました(恵みの契約)。
セイラム魔女裁判
おそらく魔女狩りで最も有名なセイラム魔女裁判は、ニューイングランド地方のセイラム村で1692年〜1693年に行われました。まさにニューイングランドはトマシン一家がいたところですね。
実際のセイラム魔女裁判は集団パニックと言われています。
この作品に出てくる魔女は、社会に溶け込むタイプではなく、野生に住むヤバイ奴として描かれてます。
なぜ一家は追放されたのか?
入植地から家族が追放されたのは意見・宗教観の相違だとか。オヤジさんは他の人たちの信仰の仕方がおかしいと思ってたんですね。信仰の自由を求めて別の大陸に移住までしたピューリタンでしたが、内の信仰の相違には抑圧的だったようです。
ここではまだ、悔い改めるどうか選択の余地が残されていたのですが、父親は出ていくことを選びます。
これは7つの大罪の高慢(pride)じゃないかと思ってます。父親は映画開始早々、速攻で罪を作っているわけです。しかも家族全員を道連れ。ここで出て行ったのがそもそもの間違いの始まり。
サムが一瞬で消えた
このシーンで何らかの魔術が存在することが分かります。
いないいないばあで顔を隠したわずか数秒の間に、あの背の曲がったおばあちゃんが赤ちゃんを連れ去るなんて、何らかの魔術でなければありえないからです(幻覚論を除いて)。
サムをさらった理由は空飛ぶ軟膏を作るためです。
洗礼されていない子供の脂肪などを軟膏にして体に塗ることによって、空を飛ぶ力を得ると信じられていたようです。
According to Hans Baldung Grien (ca 1484–1545) and Pierre de Rostegny, aka De Lancre (1553–1631), human flesh was eaten during Sabbats, preferably children, and also human bones stewed in a special way. Other descriptions add that human fat, especially that of unbaptised children, was used to make an unguent – the flying ointment – that enabled the witches to fly.
黒い山羊
新約聖書(マタイによる福音書)では、(特に「羊=良きものの象徴」との対比で)ヤギを「悪しきものの象徴」として扱うくだりがある。ヨーロッパのキリスト教文化においては、ヤギには悪魔の象徴としてのイメージが強いが…(以下省略)
北米で山羊が悪魔のモチーフとして使われることはあまりなかったようですが、ヨーロッパなどではよくあるシンボルだったようです。
一家はブラックフィリップという黒山羊を飼っています。
双子が歌っているシーンありますよね?なぜか黒山羊を崇めるような歌。これは悪魔崇拝を仄めかしています。この時点で双子は悪魔に魅入られていたのでしょう。
ケイレブに祈りを捧げる時に祈りの言葉を思い出せないですよね?また、マーシーが持っている木の枝が魔女の杖を連想させることにも注目してください。
双子は最初から既にブラックフィリップにたぶらかされ、トマシンが魔女だと吹き込まれていたのです。じゃなければ実の姉を魔女扱いするなんて考えられないのではないでしょうか。
この黒山羊は悪魔が化けていたものでした。トマシンに初めて話しかける瞬間は鳥肌が立ちましたね。
卵の中の鶏は?
卵は古来より生命や復活の象徴とされています。
トマシンが卵を落として割ったら、中のヒナが死んでいましたよね。超ヤバイ前兆です。
あの意味深なウサギは?
魔女が変身していたもの、または使役していた使い魔でしょう。
古来の宗教において、ウサギは神と固く結ばれていると考えられていました。
しかし異教排除を徹底したキリスト教が広まるにつれ、ウサギは魔女の使い魔、または魔女自体が化けているものと考えられました。
ウサギの足というお守りがあります。これを持っている者は魔女を狩った証として異教徒ではないという証明になったそうです。魔女狩りを避けるためなら持ってて損はないですよね。
欧州では、中世以降、キリスト教の狂気的な異教排除(魔女裁判・異端審問)の嵐の中、キリスト教以前の欧州古来の春の女神と結びつくウサギもその影響をまぬがれなかった(うさぎ(欧米におけるモチーフとしてのうさぎ)参照)。ラビッツ・フットに関しても、ウサギは魔女(つまり、キリスト教でない信仰を持つ男女、あるいは土着信仰の神々)に属するから、ウサギの足を切り取ったものを持っているのは魔女を狩り殺した証(自らは異端教徒でなく、権力とキリスト教に従順である証)であるからだいう話が広まっている。
ケイレブが吐き出したリンゴは?
リンゴはアダムとイブが食べた禁断の果実と言われています。リンゴを食べたことによって無垢を失い、そして楽園を追放されました。
リンゴ=罪という象徴であり、リンゴのなる場所=楽園と連想できます。
ケイレブの吐き出したリンゴは白雪姫の腐った毒リンゴのように見えます。
それは魔女にたぶらかされ呪いにかけられたことを表します。そして同時に、リンゴが芯まで腐っているということは、楽園はもはやないという暗示でしょうか。ここちょっと難しい。
ちなみに毒林檎を子供に食べさせるという話は大昔の書物に出てきたそうで、それを採用したみたいです。
果実がリンゴかどうかは諸説あるようですが、とりあえずここではリンゴで。
ケイレブが叫ぶ動物の名前
カエル、ネコ、カラス、黒犬、狼・・
これらは全て魔女が使役していたと思われる動物たちの名前です。使い魔ってやつですか。
双子はどこへ?
魔女に連れ去られ、サムと同じくジャムにされたのでしょう。
エンディングにトマシンが魔女の集会に加わりますよね?魔女たちの体は血で覆われています。そして彼女たちは空を飛び始めます。
時系列的に考えると、双子なのかなと思います。
先の「サムが一瞬で消えた」で空飛ぶ軟膏について触れていますが、必ずしも洗礼を受けていない子供じゃないとダメって感じには書いてませんね。だからジャムかな〜と推測しています。
もしくは、単純にサムの残りであったと考えることもできます。
7つの大罪
父親: 高慢。入植地からの追放時、選択肢があるにも関わらず自分を曲げようとしません。また、奥さんの銀コップを盗んで売ったことも言いだせません。そして、最後は自分が無駄に割り続けた薪の下敷きになります。
母親: 妬み。トマシンの若さ、そして女としての美しさに対して深く嫉妬します。ケイレブがトマシンを見ていただけなのに、トマシンがケイレブをたぶらかした!と意味不明な非難をします。
ケイレブ: 色欲。姉の胸元を除き、女を意識している様子が何度もカメラショットによって示唆されます。若く妖艶な魔女にキスをされ、童貞を奪われ(たぶん)、呪いによって息絶えます。
双子のマーシー: 憤怒。トマシンに対して常に怒っています。ケイレブの死を目の前にして、トマシンが魔女だと叫ぶ様子も異様。
双子のジョナ: 怠惰。映画を見ていても1番印象が薄いこの子。それもそのはず、基本的に何もしていないから。まぁ子供らしいっちゃ子供らしいとも思いますが、あの状況で何も手伝わないのは罪深いかも。それはマーシーにも言えることですね。
残るは物欲と貪食ですが、最後に悪魔がトマシンを一押しするときのセリフを思い出してください。バター、そしてドレスの誘惑を持ちかけられます。悪魔と契約することで、トマシンが残りの2つの罪を背負うことになります。
こう見ると全て自らの行いによって死を招いていますね。結局ブラックフィリップに操られているわけですが。
とはいえ、こんなひどい仕打ちを受けるような一家でもないと思いますが。魔女や邪悪な魔術に対抗する術を知らなかった・持っていなかったのが辛いところですね。
神への祈りは彼らを救いませんでした。
終盤まで純粋だったのはトマシンだけですね。このトマシンを堕落させて魔女に加えるのが、ブラックフィリップの大いなる目的であったと考えられます。
※ 7つの大罪に当てはめるのは賛否両論あるみたいです(主にカトリックの主義であるとか)。ただ結構しっくりくるとは個人的に思ってます。
ウィッチのエンディング
家族が死んで、しかもお母さんに至っては自分で手を下しちゃったというまさに地獄のような状況に置かれるトマシンですが、最後は悪魔と魔女になる契約をして空に飛んでいきます。
これ、どう考えてもバッドエンドなわけですが、その反面スカッとするところもあるわけです。とにかくトマシンはサムを失ったことをきっかけに母親から責め立てられてこき使われます。
- 丁稚奉公いってこい
- 母親は何でもトマシンのせい
- 自分が魔女じゃないと言い張っても信じてくれない
ここまで追い詰められて、しかも家族全滅したらそりゃ甘い話に乗っかって悪魔と契約しちゃうよねって話なんですよ。
最後に空に昇っていくトマシンはずっと笑っていますが、狂ったとも考えられるし、もうどうでもいいやと諦めてしまったようにも見えます。もしくは抑圧から解放され、かつ空を飛ぶという非現実を体感している高揚感?
これだけハッキリと魔女や悪魔が出てきて、家族がメチャクチャにされているのに一体神はどこにいるのか。悪魔がいるなら神も存在してしかるべきじゃないのか。
魔女とは生まれるべくして生まれたのか?それを生み出した元凶は宗教じゃないか?本当に神はいたのか?
そんな疑問を最後に置いていきます。
トマシンは最初から魔女だった?
はっきりとはでないですが、監督は仄かに否定しているようですね。
Was Thomasin always a witch?
No. To begin with, Robert Eggers has this to say about that theory.
No offense, if that [Thomasin was always a witch] was anyone’s reading, but for people who think Thomasin was evil all along: “Once upon a time there was a story of a witch”—that’s the movie, and that’s not a very interesting story. So I will say that much.
引用元:1,2,3WTF!?
家族が幻覚見てる?
この考え方もありらしい。作物を腐らせたのは麦角菌だと思われるが、これは幻覚作用を引き起こす成分を持ったものでした。
あとがき
批評家の点数は高いけど、一般の評価はイマイチ・・。
ちなみに私はそこそこ面白いと思いました。スゴイ怖かった〜って感じじゃないですけど、後ひきます。宗教の恐ろしさとかね。
こうやって考察の余地があったり、色んな解釈ができる映画ってやっぱり素晴らしいですよね。
ロバート・エガース監督の次回作も楽しみです。
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